この世の中は細く長く 生きる 方法ばかり提供されて,太く短く 生きる 方法は与えられていない - kimgonblog
2022年7月13日

この世の中は細く長く 生きる 方法ばかり提供されて,太く短く 生きる 方法は与えられていない

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「人は何のために 生きる のか?」

これに関しては誰もが一度は考えたことがあると思う。

これに伴って最近、死ぬことは悪なのかについて考えることが増えてきた。

そんなことを考える中で、生について疑問が湧いたので真面目に考えてみた。

目次

この世の中は細く長く生きる方法ばかり提供されて,太く短く生きる方法は与えられていない

国家の発展を図る指標の一つとして平均寿命がある。

発達した国では良い医療環境が整っており人間の平均寿命が伸びることから用いられていると思われる。

平均寿命を指標として用いることに異論はない。

だが平均寿命と幸福度に完全なる正の相関関係が存在するかは疑問である。

戦争や流行病により命を落とすような時代であれば上記は平均寿命とともに幸福度は上がるだろうが、現代はそうではない(だからと言って今後そのような時代が来ないとも限らないが、、、)。

多様な生き方を尊重する現代において人生の終わりを自分で決めることも多様な生き方として許容するのはいけないことなのだろうか。

このような考えを抱くようになったきっかけ

私がこのような考えを持つようになったきっかけは、とあるyoutubeのコメントでした。

そのyoutube内では介護問題について議論されており、介護者の低賃金・重労働はどが議題として取り上げられていた。

そのyoutubeのコメント欄に「介護問題を解決するには介護される人を減らせば良い」というふうな書き込みがあった。一見、サイコパスに思える書き込みであるが考え方としては非常に正しいと思う。

このコメントをきっかけに安楽死など生について考えるようになった。

太く短く 生きる ことは幸せか?

心底食べ物を食べることに幸福を感じる人がいるとする。そのような人はいずれ生活習慣病になるだろう。生活習慣病になり、大好きな食を我慢するなら自分で人生に幕を下ろす選択をとった人はおそらく最後にお腹いっぱいに大好きなピザやケーキを食べて幸福と充実に満たされて最後を迎えるだろう。

このような人生を考えた上で再度、生について考えると長く生きる意味が全くないように思う。

年をとり体も動かなくなり 1人寂しく最後を迎えることのどこに幸せがあるのか。

もちろん家庭を持つ人は上記には当てはまらないと思う。最愛の人と可能な限りともに過ごしたいと願うのは自然だと思うからだ。

しかし、結婚したいとも思わず、1人を好む人にとっては長く生きることは結構辛いことだと思う。

なぜ太く短く 生きる ツールは提供されていないのか

太く短く生きるツールが提供されていないことについて論理的に考えてみた。

倫理観等の観点は完全に無視しているため不快になられた場合は申し訳ない。

倫理的に受け入れ難い

倫理的に人の死は受け入れ難く、悲しいものとして人間は認識している。

これにより短く生きるツールを提供することは良しとしない人が多数存在する。

納める税が減少するから

これは陰謀論に近い考えである。

短く生きるツールを提供してしまうと一定数人口の減少が発生する。

これにより国へ納める税が少なくなるため、国家としてこのようあツールを提供することができないという考えである。